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  「大きなプリンさん」の麻酔・手術体験記2「手術当日から翌朝まで」


<手術当日の朝>

 目が覚めた。今何時だろう。5時ごろだった。夜中に目は覚めたがトイレには行きたくならなかった。
 でも今、行きたい。下剤が効いている様子だ。
 トイレから戻り、ベッドに入る。
 5時半になったら、看護婦さんが起こしに来て、浣腸をすることになっている。
 看護婦さんが来た。少しドキドキしながら50メートルほど離れた処置室まで後をついて行く。
 浣腸自体は思ったより苦痛ではなかった。しかし、ベッドから起きあがった途端、おなかが・・・。
 3分以上我慢してからトイレに行くようにと言われたが、そんなことを考える余裕はなく、50メートルをよろよろと歩いて、自分の病室の前にあるトイレまで行く。
 これだけゆっくり歩いたのだから、きっと時間は結構経ったはず。
 自分の心のなかで大急ぎであと60ほど数えてからトイレに入った。
 でも収穫なし。
 5時にトイレに行ったのだから当たり前かなと思いながら、疲れて自分のベッドに戻る。

 起床時間になり、廊下に電気がつく。まもなく担当看護婦のBさんが飲み薬とペンレスのシールを持ってやってくる。
 ペンレスのシールは見たところ特に変わったところのない透明なシール。
 でもこれを手の甲に貼っておけば痛くないんだよね。
 はがれないようにと、Bさんが上からサージカルテープで止めてくれた。
 今日は手術室までついてきてくれるとのこと。心強い。
 歯磨きやうがいはしてもいいとのことで(たぶんそうだったはず)、することもなく暇なので、顔を洗い、歯磨きとうがいをする。
 長い髪は2つに結ぶように言われていたので、邪魔にならないように、三つ編みにした。
 三つ編みなんて当分したことなかったから、鏡の中の自分を見て変な感じだった。
 飲み薬は、気分が落ち着く又は頭がぼーっとする薬とのことだったが、頭はクリアーだ。
 手術を控えているのに、落ち着いているのは薬のせいだろう。
 みんながご飯を食べているころ、Bさんが術衣とリストバンドを持ってやってくる。
 名前を書いたリストバンドを付け、カーテンを引いて着替える。
 一度カーテンを引くと何だか開けにくく、閉めたままにする。
 でも寂しい。
 手術室に行く15分ぐらい前になって、トイレに行きたくなった。別に足元がふらつくわけでもないので、部屋の人に「トイレに行ってくるね」と声をかけ、トイレに行く。
 もうこれで何もすることはない。
 主治医のA先生とBさんが迎えにくるのを待つだけだ。
 

<手術室へ>

 「○○さん、じゃあ行きましょう」Bさんの声が聞こえ、BさんがA先生と一緒にストレッチャーを持って部屋に入ってくる。
 自力でストレッチャーに移り、同室の人に「言ってきます」と声をかける。
 手を握ってくれる人、廊下まで見送ってくれる人、みんなが心配してくれている。
 みんながついていてくれる、そう思ったら怖くはなかった。
 廊下をストレッチャーに乗って進む。
 A先生とBさんの顔が見えるから安心。
 家族も後を付いてきている。
 無意識に怖さを隠そうとしているのか、薬の効き目かわからないが、廊下を進むにつれて、頭がぼーっとしてくる。
 家族の顔を見たら泣きそうだし、顔はよく見えなかったし、途中からはほとんど目をつぶっていた。
 手術部に通じる通路から先は、家族は入れない。「ではここで」とA先生の声が聞こえる。

 ここからは未知の世界。そう思っていると手術部に着いた。
 エアシャワーを浴びて中に入ったと思ったら、A先生とBさんが視界から消えた。

 次の瞬間、手術室の看護婦さんの顔が見え、「今、麻酔科の先生が来られますからね」と言われる。
 まもなく、麻酔科のC先生の顔が見えた。
 リストバンドを見ながら、「○○□□(フルネーム)さんですね」と言われ、「はい」と答える。
 病棟から乗ってきたストレッチャーから手術室のストレッチャーに乗り換える。
 頭にはシャワーキャップみたいなのをかぶって、髪を中に入れる。術衣もここで脱いだような気がする。
 体の上に毛布みたいなものをかけられた。
 「では行きますよ」とC先生が言われ、先生と看護婦さんに押されてストレッチャーは手術室へと向かっていく。
 

<麻酔がかかって眠るまで>
 
 手術室に入った。「あれ、人がいない」というのが私の感想。私が寝たまま見回した限りでは、C先生と私と看護婦さんが一人しかいない。
 「ドラマみたいに先生達に取り囲まれるのは、麻酔がかかってからなのか」と思う。
 ストレッチャーから手術台に移る。怖いから見まいとしているのか、頭がぼーっとしているからなのか、周りのものはほとんど目に入らない。
 準備は手順通り進んでいく。看護婦さんが心電図の電極や血圧計をつけている間に、C先生が点滴の準備をしている。
 ペンレスのシールをはがし、消毒をして針が刺さった。
 「痛かったですか」と聞かれ、「痛くなかったです」と答える。
 シールの効き目は充分だったようだ。
 看護婦さんが「私の方に横向きになって、体を丸くしましょう」と言われる。
 C先生が「消毒をしますよ」と言われ、背中全体が熱く感じた。
 いよいよ注射なのね。
 でも後で覚えていないぐらいだから、そんなに痛くなかったみたい。
 「じゃあ、針を刺しますよ。背中をぐっと押されるような感じがします。痛かったら言ってくださいね」とC先生が言われる。
 痛くはなかった、でもじっとしていられなかった。
 実際には押される感じがするだけで、体はそんなに動くわけはないんだけど、動いてはいけないと、押されるのをはね返そうとするように体に力が入り、丸めている背中が伸びてしまうような感じだった。
 看護婦さんが二人がかりぐらいで押さえつけてくれれば動かずにすんだかもしれないが、看護婦さんは一人だったから、「痛くはないけど」と言いながら体を動かしてしまい、刺し直さなくてはならなくなった。
 やっと針が入り、「もう痛いのは終わりだからね」とC先生が言われる。針の穴から細いチューブを入れ、針を抜く。
 このあたりの記憶はあまりない。
 覚えているのは、麻酔の効き具合を確かめるため、C先生が何か冷たい物を背中に当てて、「冷たいですか」と私に聞いているところからだ。
 何だか頭がぼーっとしていて、
 きちんと答えたのかどうか定かではない。
 その後、チューブをテープで固定し、仰向けになった。C先生が私の口に酸素マスクを当てるか当てないかのうちに記憶はとぎれた。


<手術が終わって>

 「○○さん」と呼ぶ主治医のA先生の声で目が覚めた。ここはどこだろう。回復室だ。
 「手術終わったよ。今△時だよ」と言われる。気管のチューブはもう抜けていた。
 目が覚めてからチューブを抜くと聞いていたが、私はいつから目を覚ましていたのだろう。
 まあ、チューブを抜くのは苦しいというイメージだったから、覚えていないというのはありがたいことだ。
 反対側に顔を向けると、麻酔科のC先生の顔が見えた。
 その時、痛みの度合いを測るスケール(目盛りが0から5まで打ってあって、0のところにはニコニコした顔、5のところにはすごく痛そうな様子の顔のイラストがついている。
 その0から5までの間にスライドさせて動かす部分がある)で痛みについて聞かれたような気がする。
 でも、あれは手術の次の日だったかもしれないなあ。記憶が定かではない。
 それからは、自分ではずっと起きていたつもりだが、時々眠っていたのかもしれない。
 A先生とC先生が色々と話していたが、断片的にしか覚えていない。
 足元の方で「お待たせしてます」などという声が聞こえる。病棟から看護婦さんが迎えに来てくれたみたいだ。
 そこから病棟に帰るまでの記憶はほとんどない。
 病棟へはベッドに寝かされて帰ったはずだが、いつベッドに移されたのか、誰が迎えに来てくれたのか、記憶にない。
 次に気がついたときは、病室にいた。
 

<病棟に帰ってから翌朝まで>
 
 「○○さん」という看護婦さんの声で我にかえる。
 看護婦さんが、頼んでおいた通り、顔を近づけて名札を見せながら名前を言ってくれた。
 (でも今はどなただったのか忘れている)
 自分の体の感覚はまだ戻っていない。ベッドの両側に点滴台があり、何本も点滴がぶらさがっている。
 どこにつながっているんだろう。右側は首の静脈かな。
 左側は手の甲のところだ。硬膜外のチューブはどこにつながっているのだろう。
 痛み止めの薬の入る機械のスイッチとナースコールを右手に握らせてもらう。
 この二つは命綱。硬膜外のチューブからは、1時間にいくらと一定量の薬が入るようになっている。
 痛みが強い時、スイッチを押すと、決まった量の薬が追加される。
 痛い時はいつ押してもいい。賢い機械なので、薬が入りすぎることはない。
 両足には血圧計みたいなものが巻いてあって、締まったり緩んだりしている。
 これは肺塞栓を予防するためのものだ。
 胸には心電図の電極が付けられる。そう言えば、術衣を着ている。いつから着ていたのだろう。
 右腕には血圧計を付け、右手の指には血液中の酸素の量(?)を調べるクリップのようなものをつける。
 このクリップのようなものは、ゆるい洗濯ばさみみたいなもので、少しの間ならいいが、ずっと同じところにつけていると痛くなった。
 痛くなる度、しばらく外してもらったり、指をかえてもらったりした。
 看護婦さんが「酸素吸入をしますね」と言われ、マスクが口と鼻に当てられた。
 その時違和感を感じ、初めて鼻から入っているチューブの存在に気がついた。
 マスクとチューブが鼻のところでぶつかっている。
 医療機器のセットが終わり、家族が部屋に入ってくる。私は何か言おうとしていたのだが、酸素マスクをつけているので、何を言っているかわからず苦しそうに見えたらしく、「しゃべらなくていいよ」と家族が言う。
 この日の面会は短時間。
 何がきっかけか覚えていないけれど、鼻から入っているチューブの違和感が強くなった。
 たぶん看護婦さんに口の中を湿らせてもらって、まだ水も飲んではいけないため、口の中にたまった水分を吐き出そうとのどを動かした時だったと思う。
 一度気になると、ずっと気になって仕方ない。
 実際は、気管内チューブが入っていたせいもあったのだが、この時は、全部鼻からのチューブのせいにしていて、「苦しい、のどが痛い」と言い続けた。看護婦さんの「明日先生が来られたら朝一番に抜いてもらおうね」という言葉だけが支えだった。
 どれくらい経ったころだろう。おなかの傷の痛みが強くなった。さっそく痛み止めの薬の入る機械のボタンを押す。
 少し痛みが和らいだ感じ。
 でも全く痛くなくなるわけじゃないんだな。
 表面の傷にしか効かないのだろうか。
 腹帯より上の皮膚を触ってみる。

 感覚が鈍い。麻酔がここまで効いているのかな。
 少し熱があるらしい。術衣だけしか着ていないし、布団も一枚だけのようだ。
 でも寒さは感じない。その一枚の布団がとても重く感じる。看護婦さんに
 「これは昨日まで使っていた布団と同じですか」と聞いてしまうほどだった。
 熱があるので、氷枕を使うことになる。
 「氷枕を入れますね」と看護婦さんが首を持ち上げた途端、首に痛みを感じた。
 首の静脈にカテーテルが入っているせいだった。
 その時は知らなかったが、抜けたりしないように、カテーテルが糸で皮膚に固定してあったそうだ。
 だから首を動かすと痛かったのだ。何だかこう書くと恐ろしいが、固定したのは眠っている間のことだから怖くないし、カテーテルが抜けたら大変だから仕方ない。

 この痛みはだんだん感じなくなっていった。
 血圧測定、検温、尿量測定などで何度も看護婦さんがベッドサイドに来られる。
 その度に目が覚める。
 もともと深くは眠れていない。
 右を向いても左を向いても、体についているいろんな管のせいで、痛かったり気になったりする。
 傷の痛みは膝を立てていると、少し和らぐ気がする。
 つまり仰向けにしかなれない。
 仰向けで膝を立てたまま眠るのは難しい。
 しかも、両足についている機械が片方ずつ足を締めつけるし、その機械から振動がベッドに伝わる。
 眠れる環境ではない。
 でも知らないうちに少しは眠ったようだ。
 どれくらい時間が経ったのか。朝が来た。
 ぼーっとしていると、看護婦さんと一緒にA先生の顔が見えた。
 やったー、鼻のチューブを抜いてもらえるのか。
 先生がチューブを固定してあった絆創膏を剥がしているなあというのは記憶にある。

 でもチューブが抜けるのはあっという間だったのか、苦しかったけれど忘れているのか記憶にない。ともかく、のどが楽になった。
 しかしまだのどは痛む。



 
     

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