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「大きなプリンさん」の麻酔・手術体験記3「手術後のこと」 <手術翌日> 鼻から入っていたチューブを朝一番に抜いてもらい、のどがだいぶん楽になった。 しかしまだのどは痛む。特にチューブが当たっていたと思われるのどの左側が痛い。 でも、実際は気管内チューブが入っていた影響もある。 麻酔科の先生からいただいた プリントには、術後しばらくは、のどが痛むことや声がかすれることなどが書いてあったのだが、私があまりきちんと読んでいなかったらしい。 すっかり忘れていた。 朝(時間は不明)、主治医を含めドクターが何人かで回診に来られる。「どうですか?」と聞かれるが、「痛いです」としか言いようがない。 主治医のA先生が検査データなどを他のドクターに報告している。 しばらくすると、手術した部位のレントゲン写真を撮るとのことで、レントゲンの機械を持ってまたドクターが何人か来られる。 私がまだ動けないので、両側から体を持ち上げる係、フィルムの入っているらしい板みたいなものを背中の下に差し入れる係となかなか大変だ。 確か午前中のうちに、手術の麻酔を担当していただいた麻酔科のC先生が来室された。 痛みの度合いを測るスケール(目盛りが0から5まで打ってあって、0のところには ニコニコした顔、5のところにはすごく痛そうな様子の顔のイラストがついている。 その0から5までの間にスライドさせて動かす部分がある)をポケットから出して、「これ覚えていますか」と言われる。 「我慢できないのが5としたら今はどのくらいですか」と聞かれる。 スライドさせて動かす部分を自分で動かして示す。 確か3〜3.5ぐらいだったと思う。 痛みが強いようなら他の薬も使うというようなことを言われた気がする。 最後に硬膜外のチューブから薬を入れるための機械と薬の量を点検し、「また夕方来ます」と言ってC先生は帰っていかれた。 この時、初めて硬膜外のチューブから薬を入れるための機械がどんなものか見えた。 直方体の入れ物に入っていて、中に機械と注射器みたいなものがあった。 いつごろかは不明だが、痛みに耐えるのが辛くなってきた。我慢できないわけではないが、痛い。 少し熱もあるので、痛みにも熱にも効く薬の点滴をすることになった。 痛みが落ち着いた頃、看護婦さんが、清拭と着替えのために来られた。 清拭や着替えをするには体の向きを変える必要がある。 痛みが落ち着いているので、苦痛はなかった。 体がさっぱりし、痛くなりそうだった背中や腰がすっきりした。 あと、この日にあったことと言えばなんだろう・・・。 夕方、麻酔科のC先生が機械に薬を入れるために来られたことは覚えている。 ベッドに寝たまま、何をして時間を過ごしていたのだろう。 退屈と思う余裕はまだ無かったみたいだ。 夜が来た。昨夜に比べたら体はだいぶん楽だ。でもあまり熟睡はできなかった気がする。 <術後2日目から7日目ぐらいまで> 体調は、日を追うごとに回復していく。まず水が飲めるようになり、しばらくして食事も摂れるようになる。 ベッドの背を少しずつ起こして座り、ベッドから足を下ろし、その次は立ち、次は点滴台を支えに歩き、一人で歩けるようになるというようにだんだん体もしっかりしてくる。 この時期に思ったことは色々あるが、まず思ったのは、横になったまま口をすすいだり、水を飲んだりするのは難しいなということだった。 普段しないことなので、練習しておけたらと思った。 ちなみに私は初めて水を飲んだ時、思いきりむせてしまった。 後から考えてみると、気管内チューブが入っていたせい(?)でのどの感覚がおかしくなっているのにいつも通りの動作をしたのがいけなかったらしい。 体を起こして自分で水分が摂れるようになってからも、数日間はあごを引かなければ水分は飲み込めなかった。 固形物は大丈夫だったが・・・。普通の姿勢で飲めるのはいつのことだろうと心配になったが、数日後の朝、ふと気がつくとコップで自然にお茶を飲んでいて、「あ、治ってる」と思った。 次に思ったのは、「どこまでが努力(我慢)でどこからは無理か」ということだった。 術後は出来る範囲で体を動かす努力をしなければならない。体は辛いが、出来ないことはない。 それを積み重ねて体力が回復していく。 でも頑張りすぎると疲れる。どこまでは自力でやって、どこから助けを借りるのか、これが大きな悩みだった。 痛みにしても、硬膜外のチューブから薬が入っていても、まったくゼロになるわけではない。 でもひどく痛むわけでもない。 それでも硬膜外のチューブが入っているうちは、ある程度自分の考えで「やっぱり痛いかな」などと思い、痛み止めの薬の入る機械のスイッチを押すことができる。 しかし、硬膜外のチューブを抜いた後は、痛ければはっきり意思表示をして、痛み止めの薬を処方してもらわなければならない。 看護婦さんは「痛いときは我慢せずに言ってね」とおっしゃったが、「どのくらい痛いのが痛いということなんだろう」と考えてしまった。 「術後すぐと比べたら痛いうちには入らない」そんな気持ちもあったと思う。 結局、少しの痛みでも気になる夜を中心に、痛み止めの薬を内服した。 この時期に困っていたことは、時間感覚が狂うこと、不眠、物事をすぐ忘れることなどだった。 時間感覚が狂うことと不眠は関係が深かったように感じる。 手術翌日か2日目の夜(覚えていない)、わりと早く眠れた。 「あーよく寝た、今、朝の何時かな」と思い、時計を見ると夜の10時半。 ショックだった。 次の日は消灯後は時計を見ないようにした。 ずっと眠れずベッドの上に座っていて、さて寝ようとすると、看護婦さんが「おはよう、早いね」と言われる。 「えっ、朝なの?」。私の時間感覚はいったいどうなってしまったのだろう。 不安になると、さらに不眠になる。 でも看護婦さんが見に来られた時は眠っているらしい。 昼間も時間の感覚がつかめない。 説明するのは難しいが、普段なら「今何時ごろかな」とか「さっきから何分ぐらい経ったかな」と思って時計を見ると、それほどの誤差はない。 しかし、そんな感覚が壊れてしまった感じがした。 「自分の体で時間を感じたい」と周りの人にわけのわからないことを言い続けた。 普段でも、自分にとって楽しくない時間と楽しい時間は感じ方が違う。 それと似たようなものだろうか。 でももっと深刻だった。 術後7日目の夜に、不眠に対して内服薬を処方された。その夜、術後初めて自分でもぐっすり眠ったと感じて翌朝目覚めた。 その術後8日目以降、少しずつ「自分の体で時間を感じ」られるようになっていったと思う。 物事をすぐ忘れることにも困ったというか、戸惑いを感じた。 手術当日のことは覚えていないだろうと説明を受けていたが、その後も、その日のうちは、色々な事柄を鮮明に覚えているのに、次の日になると昨日のことはほとんど忘れている。 まるで、ビデオテープにどんどん上書きしているような感じだった。 2〜3日経つと、事柄は覚えていてもそれが昨日のことなのか一昨日のことなのか全くわからなくなる。 苦しみ痛みなど辛いことは忘れて幸いだったのかもしれない。 でも、記憶できないというのはとても不安だった。 <心残りなこと> あんなにお世話になった麻酔科のC先生にお礼を一言も言えなかったこと。 なぜかと言えば、術後2〜3日目から、C先生はお忙しいためか、別の先生が部屋に来られるようになり、それ以降お会いできなかったからだ。 退院後、一度だけ外来の廊下ですれ違ったが、こちらは先生とわかっても、先生にとっては大勢いる患者の一人。 心を込めて会釈するほかはどうしようもなかった。 <最後に> この体験記に術後(特に2日目から)のことが、具体的に書かれていないのは、今まで書いた通り、記憶が混乱して詳しく覚えていないからです。 こんな拙い文章を最後まで読んでくださったあなたに感謝します。 (おわり) |
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